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祭りのふるさと…新野への旅

2005年2月22日

へんちゃか ぺんちゃか 春待ち人(おっ、きれい!)
いやあ、遠かったのう。久々じゃよ、おしりが痛くなってしまったのは。そうさのう、わしが若い頃、京都の北にある網野に行った時以来じゃよ。それでも、網野には駅がある。特急なのに15分も停車しよるような電車じゃったが…。しかしじゃ、ここには鉄道の駅も近くにはないんじゃよ。はあ、そりゃあなんとも遠い里じゃったぁ。今日は、雪に埋もれながらも、自分の仕事を全うするためにけなげにも歩き続けた、おぼっちゃまの話をしようかのう(はたして、この人の正体はいつ判明するのやら)。

ここは、まだまだ雪景色の長野県の南部。
新野(にいの)という町(村?)。だいぶ南よりに位置するのですが、標高が高いためすっごく寒いのでした。愛知県や静岡県、岐阜県とも接している、それは静かな静かな、もひとつおまけに静かな里です。雪祭りや盆の祭りなど、さまざまな祭りを大事に保存しているのがこの里なんです。
そもそも事の始まりは、長野県松本市の信州大学附属松本小学校のコンサート。そこにお子さんを通わせているお父さんが、新野の中学校の教頭先生だったんです。昨年の暮れ、松本小のコンサートに、その教頭先生はじめ、PTA会長、副会長、そして、公民館の館長さんが「ユズリンとは、いったい何者なんだ?」と密かに、探りにきていたのでした(しかし、来ることは事前に知らされていたのであった…じゃあ、密かじゃないじゃん!)。
コンサート終了後、控え室に戻ると、その四人の方が待っていてくれたんです。もちろん、コンサートの日程を決めるためです。まだ若いのに、落ち着いた感じの(でも、なんだかおちゃめな)教頭先生、いかにも『呑むことこそが人生の最大の目的なのさ』という中根さんと気が合いそうなPTA会長、そんな会長を影で支える紅一点の副会長、そして、「あんたが汗いっぱいかいていたから、かわいそうで拭いてあげようと思ったよ」という優しい金ちゃん!あ、失礼、公民館館長さん。それはそれは、強烈な出会いなのでした(そして、おぼっちゃまのそんな第一印象は、すべて的中したのでした)。
新野という場所がどこかも確認せずに、頭の中がかわいすぎるおぼっちゃまは、ここしかないという日程で引き受けてしまったのでした。

御殿場の小学校コンサートの後、「もう予算がないから」が口癖の中根さんの車で、一路新野に向かったのでした(あれっ、雪の中を歩いたんじゃないの?)。しかし、走れば走るほど、本当にこの道でいいの?道幅が狭いよ!信号ないよ!家もないよ!人の姿が見えないよ! 不安は高まるばかり。しかし、それでいいのでした。あ、似ている。似ている!なんだかこの感じ。そうだ、岐阜県の山奥の村に似ている!ああ、なんにもない加子母村に…。
新野にひとつだけある信号。その角にこの日の宿、「まるはち旅館」があったのです。正直、「ええっ、T字路の宿だと車の音がうるさくて眠れないよ」と心配でした。しかし、音は何も聞こえてこないのでした…。
着いたとたん、なつかしい教頭先生や館長さん、PTA会長さんがどこからともなく寄ってくるではありませんか!侵入者警報装置(訪問者入村装置)がどこかに設置されているのかとさえ疑ってしまうほどの嗅覚!もう、驚きでした。すぐさま町営の温泉へ。う〜ん、極楽、極楽(ぬるぬるした良い温泉です)。
宿に戻ればすぐさま宴会、じゃなくて歓迎会です。議員さん、小・中の校長先生も加わり、おだやかな会が始まったのでした。お酒に口をつけたら最後、すぐに注いでくださるのです。そのタイミングの良さはみごと! 杯やグラスをテーブルに置くいとまもありません。まったく呑ませ上手な人達なんです。
「明日が本番ですので、そろそろお開きにしましょう」
けっこう酔いが回ってきた頃、ああもう九時くらいかなあ?と思って時計を見たら、な、なんと十時半!あっという間に時間は過ぎていたのでした。それは、お酒のせいだけではありませんでした。この新野の方々の言葉に、秘密があったのでした。新野のみなさんが話す言葉、実はおぼっちゃまが生まれ育った三島の言葉と、ほとんど同じだったのです。啄木が上野駅に、ふるさとの言葉を聴きに行った気持ちが理解できる年頃(?)になったのですねえ。今ではすっかりと方言も消え、洗練された都会の言葉になってしまったおぼっちゃまも、この夜だけは、「そうずら、そうずら」としゃべりまくっていたのでした。
こうして、第一夜はふけていったのでした(中根さんは会長と肩を組みつつ、闇に消えていったのでした…)。

小学校と中学校は隣接しています(旅館の目の前でした)。
合わせて「新野学校」と、地域の人は呼んでいます。
町民大学も兼ねているコンサートなので、町の方も寒い中来てくださいました(大きな暖房器具もあるというのに、まあ寒いことったらありゃしない)。さらに保育園のお友達もね。さあ、困ったのが曲目です。こんなに幅広い年代層。中学生だけでも困り果てた経験があるのに、それどころではありません。リハーサルを進めながらも、考えあぐねていたんです。そんなおぼっちゃまの心理状態を知ってか知らずか、プログラムには
「本日のプログラムは決まっていません。会場の雰囲気に合わせて、中山さんが魔法のように、つぎからつぎへと歌って踊っておしゃべりします」
やられた!と思いつつも、そのとおり!と叫んでしまったのでした。ま、そんなわけで、歌うというよりもしゃべりまくって、なんと二時間ものコンサートになってしまったのでした。ウッヒョッヒョ。

最後に、中二の男子が感想を言ってくれました。
「…ゆずるさん、これからも、戦争はいやだと世界中に言い続けてください。そして、最初にブが付いて最後にシュが付く人にも歌ってください…。」
 もう、心がふるえました。自分の言葉で語ってくれた中学生。彼らを育ててくれた先生方。この新野という里に住む人々の大切にしているものが見えました。地域の人々の暖かさが、さらに染み込んできました。この感動は、僕だけではありません。CD売り場にいる中根さんの目は真っ赤。音響のモロちゃんも鼻をすすっていたのでした(この二人はすぐに泣くのです、僕以上にね)。

この夜、盛り上がったことは言うまでもありません。本当はね、帰ろうと思っていたのですが、どう考えても帰れないので、泊まることにしたのでした。議員さんがその席でみなさんに話してくれました。
「今まで、講師の方が当日の夜に泊まったことは一度としてありませんでした。」
もちろん、ほめ言葉です…よね?(だよね?でしょ?そうだと言ってちょうだい!)

人なんですね。
村でも、町でも、国でも、人がいなければ始まらないんですよね。村のために人がいるんじゃなくて、人のために村はあるんですよね。いや、人がいるから、村ができるんですよね。今回の旅は、それを教えてくれました。はっきりと教えてくれました。

夕焼けの中に あの人の顔が見えるから あたたかい

加子母村を訪れて創った歌の歌詞ですが、ここ新野もまったく同じでした。今も、あの人の笑顔が見えます。最初に「こ」が付いて、最後に「み」が付く日本のリーダーには、そういう人の顔がちゃんと見えているのかなあ?

おお、さすがじゃ。
ユズリンは、単にかわいいだけのアイドルじゃないんじゃのう。最後に、ぴしっと決めておる。噂では、この頃は「説教アイドル」に変身することもあるとか。いつか、そんな話もしてみようかのお。おおっ、これはいかん。また、こんな時間になってしもうた。ほいだば、今夜はこのへんで。そうじゃそうじゃ、忘れておった、もうひとつ。ユズリンが泊まった「まるはち旅館」の壁には、なんと、ユズリンのサイン色紙が貼られてあるそうじゃ。演歌歌手の色紙に囲まれてのう…。 

へんちゃか ぺんちゃか 春まぢか